毛利武士郎 もうりぶしろう

毛利武士郎 もうりぶしろう 1923-2004年 東京都生まれ

スクロールできます
毛利武士郎「手の中の目」
毛利武士郎「手の中の目」1957年
毛利武士郎「開かれた棺A」
毛利武士郎「開かれた棺A」1979年
毛利武士郎「開かれた棺B」
毛利武士郎「開かれた棺B」1980年
 父は彫刻家の毛利教武、長男は日本画家の武彦、三男は建築家の武信です。そのような環境で育った次男の武士郎もまた、1943年東京美術学校彫刻科を卒業しました。太平洋戦争を経たのち制作を再開し、1954年「第6回読売アンデパンダン」展に《シーラカンス》を出品し、新しい彫刻の方向を示唆する作家として注目を浴びます。初期の重厚感がある塑造作品から、コンピューター制御の工作機械でステンレス等の直方体に精微な幾何学模様を彫り込んだ晩年の作品まで作品形態は様々です。1964年頃から新作の発表をすることから距離をとりましたが、約20年後の1983年富山県立近代美術館で開催された「現代日本美術の展望-立体造形」展で《哭Mr.阿の誕生》を発表し、また1999年には同館で大規模な個展を開催しました。
 その中で、作家は1992年からの晩年の約12年間、黒部市にアトリエと自宅を構え制作活動に没頭しました。彼に移住の契機をもたらしたのは、前述の1983年の展覧会で毛利を担当した黒部市出身の学芸員 柳原正樹でした。そして柳原は、毛利没後には「若い人々にアトリエを使ってほしい」という作家の意思を継いで、シーラカンス 毛利武士郎記念館として運営してきました。そこは今でも、地域の芸術活動を支える重要な拠点となっています。